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日本の文化・・・「鵜 飼」
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“長良川の鵜飼が残ったのはなぜ”   五月十一日 〜 十月十五日
 
飼い馴らした鵜を使って鮎などの川魚を獲る漁法で、既に飛鳥時代に鵜飼部と言う鵜飼
の職を世襲する人達がいた。
 平安時代には、京都の桂川や岐阜長良川に鵜飼が集団で住んでいた。 鵜飼に使われる鵜は川鵜よりも、大柄で体力の強い海鵜である。
 鵜舟には風折烏帽子に腰蓑をまとった舎人風の鵜匠と、中鵜使、中乗、それに船頭の艫乗の4人が乗り、篝火を焚いた舳先で鵜匠が手綱を自在に操って漁をする。
 織田信長は長良川の鵜匠に漁業特権を与えて鵜飼を保護し、見物に訪れている。1568年(永禄11)に、長男信忠と武田信玄の娘松姫との婚約が整った時には、信玄の使者秋山信友を鵜飼に誘い、捕らえた鮎はそれほど珍重された。
 鵜飼は江戸時代には全国の河川で見られたが、明治以降には皇室の保護があった長良川など数箇所しか残らず、現在も長良川が最も知られ、5月11日から10月15日まで、満月の前後数日を除いて毎夜行われ、夏の風物詩として親しまれている。
 

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             author:六文銭, category:日本の文化, 20:03
日本の文化・・・「茶 道」   5/07
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“千利休から多くの流派が”
 
 過っては「茶の湯」と言われていたが、江戸初期に儀礼化・芸道化を強めて「茶道」と呼ばれた。
 鎌倉末期から行われた「闘茶」は、茶の産地を当てるギャンブル的な茶寄合いであったが、室町末期に酒宴や賭博制を排し、貴族や禅僧の生活文化を凝縮した閑雅な小座敷で茶を楽しむ風習が生まれた。 これを野純化・発展させたのが村田珠光である。
 珠光は大徳寺の一休宗純に禅を学び、前実の濃厚な侘び茶を創始した。 その茶の世界は孫弟子「竹野紹鴎」から「千利休」へと継承され、大成された。
 利休自身は、「茶の湯とは、ただ湯を沸かし茶を点てて飲むばかりなる事と知るべし」と表現している。 
 茶道の諸流派が活発になるのは、利休の孫「千宗旦」以後である。 宗旦は利休の遺跡・遺物を守り、利休の茶の湯の正統を掲げていたが、江戸初期に利休と旧知の大名や大徳寺僧を中心に利休敬慕が高まり、利休を茶聖とする考えが生まれた。
 此処から利休血脈の表千家(不審庵)・裏千家(今日庵)・武者小路千家(官休庵)又、千利休の道統と関わりを持つ宗偏流・薮内流・久田流・堀内流や遠州流など、茶道の諸派が成立し、夫々家元として現代にも栄えるに至っている。
 

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             author:六文銭, category:日本の文化, 06:04
日本の文化・・・「茶」  
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“領主に嫌われた茶摘み”
 
ツバキ科の常緑低木で、摘んだ若葉を発酵させると「紅茶」、半発酵させると「ウーロン茶」、発酵させなければ緑茶になる。
 江戸時代に収益性の高い貴重な農作物を「五穀・四木・三草」と呼んだが、茶は桑・楮・漆と共に四木に数えられる。
 日本にも自生種があったが、天台宗の開祖最澄が805年(延暦24)留学先の唐から茶の実を持ち帰り、比叡山麓に薬用として植栽、更に嵯峨天皇が815年(弘仁6)畿内他に茶園を開いた。当時は茶葉を蒸し、臼で搗いて団子にして湯に入れて煎じて飲んだ。「団茶」である。
1191年(建久2)中国・宗から帰国した禅僧栄西が茶の種子と新しい喫茶法である抹茶を伝え、「喫茶養生記」で茶の効用を説いた。
鎌倉幕府の三代将軍源実朝は二日酔いで頭痛の時、加持祈祷してもらったが効き目がない。処が栄西が入れた一服の抹茶を飲むと、頭痛は解消した。
 その後、喫茶の風は禅宗と共に急速に広まり、やがて茶の湯(茶道)へと高められる。
その一方で農産へも浸透していき、農民が招き合う「茶飲み」の風習が生まれた。多くの領主はこれを嫌い、会津藩上杉家の家老直江兼続は「茶を飲んであちこち行き、噂話をしている女は隠し男を作るから、今の内に別れろ」と、厳しい定書きを出している。
 それにも拘らず喫茶は好まれ、1650年頃かに急須を用いた煎茶法が行われ、庶民にも親しまれるに至った。
 

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             author:六文銭, category:日本の文化, 10:34
日本の文化・・・「八十八夜」 
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 “米作りの目安だった”    五月二日頃
 
立春から数えて八十八日目を言い、五月二日頃にあたる。
「夏も近づく八十八夜」と言われる様に、だいぶ暖かくなって来るが、まだ時に「八十八夜の
別れ霜」と言われる様に晩霜が降りて、果樹や野菜など農作物に被害を与える事がある。
 最近は、品種改良が進んで色々な特性を持つ種が出来、前ほど種蒔きには気を遣わなくても良くなりましたが、過っては八十八夜は大事な目安になった。
 特に米は漢字が「八十八」と分解できる事から、この日に苗代作りを始めたり、又苗代に種籾をおろす神事も行われた。その他の作物にとっても、八十八夜の頃は生育を見極める時であり、農作業のうえで大切な節目であった。
 茶摘は八十八夜の頃、最盛期を迎える。茶は摘み取り時期によって品質が著しく変わり、価格にも大きな差が出るので、四月中頃一番茶を摘み始め、八十八夜から二〜三週間は大忙しです。
 最も、茶摘みも現在は手摘みや鋏摘みより機械摘み普及し、八十八夜と聞いても、過っての様な忙しさは薄れている。尚、大寒から数えて「百五」とか「百五の霜」という語があり、これも5月5日頃で八十八夜と同じ意味を持っている。
 

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             author:六文銭, category:日本の文化, 07:56
日本の文化・・・「八十八夜」 
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 “米作りの目安だった”    五月二日頃
 
立春から数えて八十八日目を言い、五月二日頃にあたる。
「夏も近づく八十八夜」と言われる様に、だいぶ暖かくなって来るが、まだ時に「八十八夜の
別れ霜」と言われる様に晩霜が降りて、果樹や野菜など農作物に被害を与える事がある。
 最近は、品種改良が進んで色々な特性を持つ種が出来、前ほど種蒔きには気を遣わなくても良くなりましたが、過っては八十八夜は大事な目安になった。
 特に米は漢字が「八十八」と分解できる事から、この日に苗代作りを始めたり、又苗代に種籾をおろす神事も行われた。その他の作物にとっても、八十八夜の頃は生育を見極める時であり、農作業のうえで大切な節目であった。
 茶摘は八十八夜の頃、最盛期を迎える。茶は摘み取り時期によって品質が著しく変わり、価格にも大きな差が出るので、四月中頃一番茶を摘み始め、八十八夜から二〜三週間は大忙しです。
 最も、茶摘みも現在は手摘みや鋏摘みより機械摘み普及し、八十八夜と聞いても、過っての様な忙しさは薄れている。尚、大寒から数えて「百五」とか「百五の霜」という語があり、これも5月5日頃で八十八夜と同じ意味を持っている。
 

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             author:六文銭, category:日本の文化, 06:51
日本の文化・・・「初 物」
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“食べると七十五日寿命が延びる”
 
 季節に初めて取れた野菜・果物・魚等の食べ物。 生産者は初穂として、神仏に供える。
特に初物が珍重されたのは江戸時代で、「初物七十五日」(初物を食べると七十五日寿命が延びる)と言われた。 この為異常な高値にも関われず、無理して食べた。
 なかでも、初鰹・初鮭・初茄子・初茸は「初物四天王」といわれた。 1812年(文化9)3月25日、その年初めての鰹17本が江戸に入荷し、将軍に献上された残りがセリにかけられて、1本2両1分(約22万円)もした。 こういうものは、八百善の様な江戸で名高い高級料亭が宣伝を兼ねて買い取って、上得意の客に振る舞った。
 江戸の近郊農家は、ナスの他、椎茸、葉生姜、筍、うど、小松菜、等一日でも早く出荷すれば平常の数倍の高値で売れる事もあったので、高い下肥を買ってでも促成栽培をして出荷を競った。 幕府は何度も出荷期日を定めて、それ以前に売った者を処罰した。
 現在では、栽培技術や保存法が進歩して、初夏のナスやキュウリが冬にも店頭に並ぶし、カツオやマグロ・秋刀魚は一年中食べる事ができる。
 その分、食べ物に季節感を感じる機会が少なくなっているが、気を付けさえすれば、まだまだ身近に「旬」の物は出回っているので大事にしたいものです。
 

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             author:六文銭, category:日本の文化, 08:15
日本の文化・・・「巡 礼」
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“各地に生まれた巡礼コース”
 
 聖地・霊場に詣でる巡礼は世界の主要な宗教に見られ、巡礼を果せば日頃の祈願が叶うと考えられた。
 キリスト教のエルサレム、イスラム教のメッカ、仏教ではブッダゆかりの四大聖地(生誕の地・ルンビニー、悟りの地・ブッダガヤー、初説法の地・鹿野苑、入滅の地・クシナガラ)があり、ブッダの死の直後から巡礼は行われた。
 日本人にとってインドは遠いが、真如法親王(高丘親王)は入唐中の865年(貞観7)に、インド巡礼を企てて途中で死去された。 日本人にはインドや中国の聖地に巡礼するのは困難なので、代わりに一定の宗教的な枠組みに基づく諸寺の巡拝が行われた。
 清和天皇は876年に譲位して、直ぐ山城(京都府)・大和(奈良県)・摂津(大坂府)の諸寺を巡っている。 これ以後は南都七大寺・熊野三山詣でが盛んだが、巡拝したのは貴族である。
 西国三十三所巡礼が確定するのは、遅くとも1161年(応保1)の園城寺の僧・覚忠からである。 一番の青岸渡寺(和歌山県那智勝浦町)に始まり、三十三番の華厳寺(岐阜県揖斐川町谷汲)で終わる三十三の観音霊場巡りで、覚忠はこの巡礼に七十五日を要した。
室町時代には七観音や洛中三十三所観音の様な庶民にも容易な巡礼コースができ、益々盛んになった。
 更に、大師信仰に基づく四国八十八ヶ所が江戸時代に整った。 真言僧の信然は、延宝・天和期(1673〜83)に四国霊場を十数回踏査して「四国遍礼霊場記」を著わし、空海ゆかりの霊場八十八ヶ寺を定めた。
 現在の区分で言うと、徳島県(阿波)二十四寺、高知県(土佐)十六寺、愛媛県(伊予)二十六寺、香川県(讃岐)二十二寺である。
 その一方で、京都に仁和寺の「御室八十八所」の様に寺内を一巡するだけで八十八ヶ所巡りができたり、「八十八体仏」を安置する寺も各地に生まれた。
 同時に、坂東三十三ヶ所・秩父三十三所・江戸三十三所・小豆島八十八ヶ所・佐渡八十八ヶ所ほか、各地に新しい霊場巡りが組み立てられ、こうしたことが四国八十八ヶ所への巡礼熱を煽って、文化・文政期(19世紀初め)には巡礼者はピークに達する。
 巡礼は、勿論信仰に動機付けられて行われるが、平安時代の天皇の時から遊楽も含まれていて、これは江戸時代も現代も変われない。 遍路が沢山行き交うのは農閑期と言う事もあるが、一番旅に快適なのは三月から五月である。
 白木綿の衣に金剛杖を手に同行二人(弘法大師と道連れ)と記した菅笠を被って巡り、寺では札を納め、教をあげて納経帳に寺の法印を捺して貰う。
 過っては四国巡礼には四十日前後もかかり、遍路達はこの苦楽の日々を重ねる中で確実に「救い」に近づいていると感じる事が出来た。
 

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             author:六文銭, category:日本の文化, 18:02
日本の文化・・・「高山祭」
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“豪華な屋台が生まれた背景”      春4月14日〜15日

 岐阜県高山市の春の山王祭(日枝神社)と秋の八幡祭(桃山八幡宮)の祭の総称である。 飛騨高山は戦国時代に金森氏によって整えられた城下町だが、1692年(元禄5)江戸幕府は飛騨地方を直轄領(天領)とした。
 高山の町人は、飛騨地方に産出する豊富で優れた木材によって財力を蓄え、1718年(享保3)には金に糸目をつけず、飛騨匠の伝統を受け継ぐ木工技術者に豪華絢爛な屋台を作らせた。 その後、現在の様に春の山王祭では十二台、秋の八幡祭りには十一台もの屋台行列が各町から繰り出される様になった。
 因みに山王祭の屋台は、神楽台・大国台・崑崗台・恵比須台・五台山・石橋台・麒麟台・三番叟・琴高台・鳳凰台・青竜台・竜神台。
 八幡祭の屋台は神楽台・布袋台・大八台・鳩峯台・神馬台・仙人台・行人台・宝珠台・豊明台・鳳凰台・金鳳台・三番叟と竜神台、又布袋台ではカラクリ人形が仕掛けられている。
これらの屋台は「動く陽明門」といわれ、高山陣屋前の御旅所の勢揃いして、カラクリや闘鶏楽・獅子舞いが演じられる。 国指定重要無形民俗文化財
 

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             author:六文銭, category:日本の文化, 06:01
日本の文化・・・「十三参り」
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“なぜ十三歳の少女が主役か”     四月十三日
 
陰暦三月十三日に数えで十三歳になった少年・少女が、虚空蔵菩薩にお参りして、知恵と福徳を授かった年中行事。「知恵もらい」とも言う。 十三歳と言うのは生まれ年の干支が初めて巡ってきた年齢である。
同様の年祝いでも七五三が東京等関東で盛んなのに対して、十三参りは関西で盛んである。 特に京都市嵯峨の法輪寺は「嵯峨の虚空蔵さん」と呼ばれて親しまれ、現在は四月十三日に晴れ着を着た沢山の少女達で賑わう。
京都市中から父母に付き添われて法輪寺にお参りするには、渡月橋で桂川を渡る人が多い。 お参りが済んで帰るとき、渡月橋を渡りきらない内に振り返ると、授かった知恵と福徳は消え失せると言われている。
十三参りが行われる様になったのは、江戸中期の1773年(安永2)という。 当時、数えで十三歳と言うのは、男女とも大人への門口に立った年頃と考えられた。 少女なら初潮の始まる年齢とされ、赤い腰巻を貰って着用した。 少年には六尺褌で、この後はこれを締める。
十三参りは伊勢市の金剛証寺、福島県柳津町の円蔵寺、茨城県東海村の村松虚空蔵堂はか、全国各地で行われる。 微妙な年頃にある我が子がしっかりと物事を理解・判断できる様、虚空蔵菩薩に願った。

 

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             author:六文銭, category:日本の文化, 06:42
日本の文化・・・「御柱祭」
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“日本の祭の原像の一つ”   四月上旬〜五月中旬
 
 長野県の諏訪大社で六年毎(申年と寅年)の春に行われる式年祭。 諏訪大社は上社と下社があり、夫々上社は本宮(諏訪市)と前宮(芧野市)、下社は春宮と秋宮(共に下諏訪)とから成る。
 この四つの宮の四隅に一本ずつ、計十六本のモミの大木(御柱)を山中から伐り出して立てる勇壮な祭である。 御柱は本宮一之柱が五丈五尺(16,6m)あり、以下五尺ずつ短くなっていく。
 上社では前年五月、八ヶ岳御小屋山で薙鎌打ち(選定)した御柱を3月下旬に伐採し、4月上旬から「山出し」をする。 そして本宮一ノ柱から一本ずつ籤で決められた組毎の氏子千人余りが、大社まで十数キロを「里曳き」する。
 途中には崖上からの「木落し」(四月上旬ごろ)、御柱を宮川の流れで清める「川渡し」があり、五月上旬に社頭まで曳行する。 最後に御柱の頂部を三角錐に削る「冠落し」ののち、定められた地点に「御柱建て」を行う。
 御柱祭は日本の祭の原初的な姿をとどめ、御柱については神殿の式年造営をなぞらえたもの、神の依代(招かれた神霊が宿るところ)、神域を示すものなど諸説が有る。
 

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             author:六文銭, category:日本の文化, 06:17